マグロ物語 人はいつ頃から、マグロと出会ったのだろう。 人とマグロのかかわりは深く、かつ、その歴史は古い。古代の人々の生活の跡を残した貝塚から、ごく希にではあるがマグロの骨が発見されている。量はわずかであるにしろ、当時の人々の生活とマグロは無縁でなかったことを物語っている。また、古事記には“シビ”と記される魚があらわれている。今日でもマグロをシビと呼ぶ地方が有るように、これがマグロの古名である。さらに、万葉集には「鮪衝くと海人の燭せるいざり火のほかにが出でなむわが下念(したもひ)を」という歌が残され、奈良時代にはすでにマグロ漁の漁法も確立されていたことがうかがえる。 慶長見聞記に「にくしびは味わいよからずとて、地下の者もくらわす、侍衆は目にも見給わず、そのうえしびとよぶ声のひびき、死日と聞こえて不吉なりとて祝儀などには沙汰せず」とあり、マグロは江戸庶民にあまり好まれなかったようだ。もっとも、当時のマグロの産地は牡鹿半島や五島であり、江戸まで運ぶのには7日間を費やした。これでは鮮度が落ちて不味い魚と言われるのもしかたがない。ところが文化7〜8年(1810〜1811)の冬に、伊豆、相模でマグロの大漁がつづいた。こうして比較的、鮮度の良いマグロが江戸に運ばれ、一般庶民の食卓にもマグロが上るようなった。 三者の運命的な出会い。 銚子、野田などの醤油産地は、主流であった関西風醤油からの脱却をめざし独自の味創りを歩み始めていた。当初、マグロはこの醤油に漬けられ「づけ」という名で一般庶民の食卓にのぼった。ところが天保3年(1832)の大豊漁で安値になったマグロを、夷屋(えびすや)という寿司屋が試しにナマで使ってみたところ、これが江戸で一大ブームをまきおこした。スシといえば「マグロの赤身」というイメージは、こうした生まれた。また、それまでスシ種は煮て味をつけたものが主流で、醤油は使われていなかったが、マグロは生を使うため醤油を添えたところ、これが受けて、現在の「江戸前ずし」のスタイルが確立されたのだ。 トロは脂身で、元来、脂肪ぎらいの多い日本人には好まれていなかった。実際、昭和初期頃まではアラあつかいされていたという。ところが勉学のため東京に集まった学生たちが、この安価なトロを学生時代に喜んで食べた。卒業して地方に帰った彼らは、その味が忘れられず食用として広まっていったのだ。 【びっくりマグロの栄養価】 マグロには良質のタンパク質のほか、不飽和脂肪酸や鉄分、カリウム等のミネラルがたっぷり含まれ、神経や筋肉の機能を正常に保ち、動脈硬化や心筋梗塞、脳梗塞を防いでくれます。また赤身は高タンパクで低脂肪・低カロリーという天然自然の健康食、ダイエット食として女性にも人気があります。さらに、ビタミンB6やパントテン酸など、育ちざかりの元気なチビッ子に必要な栄養もふんだんに備えています。小さな子どもから、お年寄りまで、おいしく健康を育てる、まさにミラクル・フードなのです。 生まれついての長距離ランナー。 マグロの普段の遊泳速度は毎時20〜30kmといわれているが、この速い遊泳速度を維持するためには、多量の酸素を必要とする。このためマグロは海水から充分な酸素を補給するために、口を少し開けながら速く遊泳し、エラにふれる海水量を多くしているという。つまり、マグロは速く遊泳する宿命を背負った魚なのだ。泳いでいないと溺れてしまうため、生まれたときから回遊を宿命づけられた長距離ランナー。それがマグロなのである。[top] |